2008/03/04

QUESTURA


















週末はBocconiのski tripでトリノに行き(上の写真です!)、10年ちょっとぶりのスキーに疲れ果ててミラノに帰りついたところ、今日は朝からペルメッソ(滞在許可書)でquestura(警察署)に行ってきました。

ペルメッソの申請をしたのが9月末ごろで、12月に1回目の呼び出しで写真と指紋をとり、2月に2回目の呼び出しがあり、この時点でもらえるものと思っていたのですが、ここからおかしくなってしまいました。

呼び出しが1時3分(?)とあり、10分ほど遅れて行き1時間ほど待ったところで、「担当者は帰ったよ」と言われてしまいました。「来週来たら』と言われ、手書きで召集状を書き直されてしまいました。

仕方ないので翌週に行き(3回目)40分ほど待ったところ、担当官から「なぜ先週来なかった」と聞かれ、「来たけどあんたが帰ったんだよ!」と答えたところ、「来週また写真を2枚もって来い、終わり、さよなら」と言い、帰り支度を始めてしまいました(トータル5分ぐらい)。

嫌な予感が高まる中、4回目の呼び出しでquesturaに行ったところ予想を上回る展開となってしまいました(T_T)

まず、余裕をもって呼び出しの40分ほど前に行ったところ、待合所が混んでいて座る席がない状況でした。なぜかというと、特に東南アジアまたは中南米系と見受けられる方々はひまなのか関係ない人がいっしょに来ているからです。居心地が悪い空間で、いつ呼ばれるともわからず、しかも10数年ぶりのスキーで疲れきった足で拷問のように立たされることとなりました。

運良く50分ほど(!)待ったところで呼び出されたのですが、ここからまた予想外の展開となりました。いつも同じ担当官なのですが、こいつがいきなり12時に中央の移民局に行けといいだし、召集状の裏に手書きで書き始めたのです。その時点で11時40分を過ぎていて間に合う訳もなく、移民局の場所もわからないまま事務所を追い出されました。

何とか住所を書いてもらえたので、それを頼りに学校の担当者に電話して何とか位置をつかみました。何のためにいくのかわからないままに、スキーで疲れた体に鞭を打ち、とりあえず行ってみたところ、12時10分すぎに着けたのですが、そこには長蛇のしかも見た目がかなり怖い感じの方々(アフリカ系)の列がありました!

仕方なく並んでみると、さすがに常識が通じる相手ではなく、すこしでも隙間があると割り込んでくるので、わたしも怖いながらも前の人にぴったりとくっつきつつ、その列で1時間ほど待つこととなりました。やっと窓口に辿り着き紙を見せると、奥に行けと言われ、行ってみると、またまた大勢の人がペルメッソの申請らしきことをしているような所にたどり着いてしまいました。

これはまたペルメッソを申請しろということかと思い、かなりブルーになり、しかも番号で呼び出しをしているのに番号の発券機が見当たりません。仕方なく、窓口に強引に突入して聞くと横の窓口に行けといわれ、そこの窓口で紙を見せると、今度は裏に来い(!)と窓口の奥に連れていかれ(半ば犯罪者気分)、そこで新たな担当官に会わされました。

彼はさきほどの担当者の手書きの召集状を読むとどこかに行ってしまい、帰ってくると「290」という番号の書いてある札を私に渡しました。そして、さきほどの申請者でごったがえす待合室の方に私を連れて行き、「そこの右のところに行け」(多分)と言うといなくなってしまいました。

案内板には「87」という番号が出ていて、もしかして200人待ちかとかなり暗い気持ちになったのですが、まずは窓口もわからず、関係なさそうな窓口に強引に聞いたところ、1人目にNo!と言われ、なんとか、2人目で横だよと教えてもらい、場所を確認できました。しかし、突入してみたところ、だれもいません。

いったん出てみると、そこにいたおばさんが「288」をいう番号をもっていました。どうも87というのは287ということのようです(わかりずらい!)。すこし気分がよくなり、290となるのを待って入ると、そこには2回目と同じ指紋撮りの機械がありました。結局、私のペルメッソ申請は指紋撮りからやりなおしになったようです。5分ぐらいで指紋撮りが終わったところ、担当者から「終わりだよ」と言われました。次はどうなるのかと聞いたところ、「知らない」とのことでした。

この時点で13時半ぐらいで、学校を出てから3時間以上が経っていました。とりあえず、今日やることが終わったので、気が楽にはなりましたが、無駄な時間を過ごしたという気分しか残りません。ペルメッソ申請はほどほどにして、イタリアから脱出しようかと思った3時間でした。

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